「この人、何言っているんだろう?」

 その言葉を聞いて、平下晃司氏(46)はそう思ったという。

「オレはプロにいった選手を何人も見ているけど、お前はプロに行ける実力を持っている」

 宮﨑・日南学園に入学早々の平下氏に、同校監督の小川茂仁はこう告げたのだ。

 調理師の資格を取って就職しよう――。プロなど全く考えてなかった平下氏はそこから変わった。近鉄、阪神、ロッテ、オリックスの4球団で活躍した俊足好打のプロ野球選手は、この言葉をきっかけに誕生したのだ。

 阪神の「F1セブン」の1人としても脚光を浴びた平下氏が現役引退してから10年以上。今だからこそ話せる高校時代のエピソードを語ってくれた。

猛練習が大事

 日南学園に入学した時、「とんでもないところに来てしまった」と思いました。先輩はもちろんレベルが高かったですが、自分と同学年の選手がすごかった。いきなり4番を打つバッターがいたし、熊本から来た投手はいきなり135キロは投げていました。同期には現在、日南学園の監督をしている金川豪一郎もいました。

 小川監督はとにかく練習をさせる方でした。打撃が好きで「11対10で勝てばいい」という考えのもと、9割は打撃練習でしたね。1日に1000スイング以上は当たり前。手抜きがあれば、「そんなスイングで試合でやるのか?」と問い詰められました。

 監督から「プロに行ける実力を持っている」と言われたときも、「自分はこんな下手くそなのになぜ?」と思いましたね。周りもみんな驚いていましたよ(笑)。それでも小川監督は「実現できるかはお前の心がけ次第だけどね」とハッパをかけられました。それで気持ちが入りましたね。同期が1000本素振りすれば、自分は1200本というように。

 小川監督は選手を“乗せる”のが上手な方でした。もともと東海大で監督、大学ジャパンでもコーチをやっていたので、人脈がすごいんです。社会人でバリバリやっている選手をグラウンドに呼んできて、「俺はこんなにたくさん練習をしたんだ」と言わせるんです。僕らは高校生ですから「監督の言う通りじゃん!たくさん練習しないと!」となってしまうんですよね。とにかくキツかったですが、必死に練習をこなしていました。

 高校1年生の5月に自分の父親が亡くなり、葬式が終わって寮に戻ったあと、小川監督から「今日から俺をお前の親父だと思ってくれ。不満があったら相談してくれ。その代わり、厳しくいくからな」といわれたんです。すごくうれしかったですけど……そこからめちゃくちゃ監督は厳しくなりました(笑)。

深夜3時までレジェンドは打撃練習を続けた

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