「『この人のもとで仕事したい』と思うことが僕のモチベーション。改めてそれに気づいたのがオリックス時代でした」

 プロ野球界も、一般社会同様、人間関係が大切だ。指導者と選手の信頼関係が崩れるとチームは回らなくなる。

 平下晃司氏(46)が07年~08年に在籍したオリックス時代を振り返る。(*は編集部注釈)

ホームラン打って二軍落ち

 移籍してすぐに「オリックスから求められて、トレードされたのではないな」と分かりました。ロッテが吉井理人さんをほしかったから実現したトレードでした(*07年シーズン中、平下氏と吉井の1対1のトレードが行われた)。「平下を関西に戻してあげてよ」みたいな話になって、僕が移籍することになったんです。

 それまで僕は阪神、ロッテと移籍してきましたが、初日の扱いが違いました。阪神ではキャンプ初日からAチームの打撃練習に入ることができましたし、シーズン途中移籍となったロッテではすでに背番号が用意されていて、すぐに一軍でした。

 オリックスでは「ファームで成績残したら呼ぶから」といわれて期待されていないことはすぐ分かりました。

 オリックスの1年目が終わって、2年目の2008年、監督はテリー・コリンズ。京セラドームで行われた横浜ベイスターズとのオープン戦(3月9日)で僕は2ラン本塁打を打って活躍することができました。

 しかし、試合後にヘッドコーチの大石(大二郎)さんに呼ばれてこんなことを告げられました。

「明日から二軍に行ってくれ」

 僕が「それは納得できない」と言うと、大石さんもこう言ってくれました。

「オレもそう思っている。だけど監督が言うんだから、しゃあないやろ」

 僕は監督室に向かい、コリンズに抗議しました。

「結果出したのに、どういうことや」

 コリンズは英語で話し始め、通訳がしどろもどろに訳します。

「結果は出しているから……(二軍に落としても)すぐ呼ぶから」

「すぐ、というのはどういうことですか?開幕までに戻れるんですか?」

「いや……開幕には戻れない」

 なんのために結果を出したのか分からないですよね。

ローズとラロッカが僕のために立ち上がった/「この人の下では野球をやりたくない」

1 2