報徳学園のエースとして甲子園に3度出場、“世代屈指の左腕”としてプロの世界に飛び込んだ近田 伶王氏(34)。しかし、現実は甘くなかった。もがき苦しんだ1年目のオフ、入団したソフトバンクのエース・杉内 俊哉の自主トレに参加した近田氏は、大きくレベルアップをし、2年目へに自信をもって臨んだのだが……。

ケガで思い通りに身体が動かない

――杉内さんの自主トレに参加したことで、直球、スライダーもレベルアップし、2年目への手応えは掴みました。それでもプロのレベルは高かったのでしょうか?

近田 2年目の春季キャンプの途中、一軍に上がって、オープン戦でも抑えることできました。しかし、そのあと肩をケガしてしまったんです。これまで勢いだけでやっていて、ケアをしっかりとできていなかったんだなと反省しました。

――一度肩のケガをしてしまうと、復帰しても調子を上げるのは難しいですね。

近田 復帰してどこも痛くないのに、体が勝手に制御してしまうんです。思い切って腕を振ろうと意識をしても、身体が制御しちゃうので、抜けるボールが多くなってしまうんです。思い通りに体を動かすのに、時間がかかりました。

――どれくらいかかりましたか?

近田 結局、1年ぐらいはかかりました。自分のしたい動きができず、どうやってケガを再発させないか。インナーマッスルを鍛えるトレーニングなども行いました。

先輩の一言「たぶん今年切られるぞ」

――なかなか一軍に上がれない期間が続いて、プロ4年目(2012年)の8月9日に外野手に転向しています。どういうきっかけがあったんですか。

近田 4年目の最後の夏ごろに先輩と食事に行ったときに、先輩から「たぶん今年切られるぞ」と言われて……。薄々気づいてはいたんですけど、「やはりそうなんだろう」と感じたときに自分の将来を考えるようになりました

自分は選手人生が終わったあとは指導者になりたい思いがずっとありました。それを考えた時、投手だけで終わると、それしか教えられないピッチングコーチで終わってしまうなと思い「外野も経験していろんなことを学んで、戦力外になった方がなったほうがいい」と思って外野手に変更しました。

――その思いはコーチの方に伝えたのですか?

近田 球団のコーチ、指導者の方には、あくまで「ピッチャーとして通用しないので、外野手に転向させてください」という話をしました。

――実際やってみてどうでしたか。

近田 やはりしんどかったですね。野手の人の方が体力あるなとか思いました。それでも外野手の基礎となる足運び、ゴロ捕球の形、打撃の意識、走塁に対する意識など理論的なことは全部教えてもらったので、本当にプラスになったなと思っています。

中村晃の言葉に感動

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