「プロに入った時“絶望”と言うか…これは相当頑張らなければ無理だなと、すぐに感じたんです」

そう語るのは、元甲子園のヒーロー・近田 怜王氏(34)。2007~2008年に報徳学園で甲子園3度出場し、世代屈指のサウスポーとして大きな注目を浴びた選手だ。

2008年のドラフトでソフトバンクから3位指名、その後社会人を経て現在は京都大学野球部の監督を務めている。

そんな近田氏にプロ生活を振り返ってもらった。

プロに入ることが目標になってしまっていた

――ドラフトでは3位指名。上位指名は予想していたんですか?

近田 甲子園が終わってドラフトを迎えるまでの間、報徳学園の永田 裕治監督(現・日大三島)といろいろ話していたんですが、「上位指名はないな」と言われていました。僕は下位指名でもプロに行く心づもりをしていました。

 ただ、ソフトバンクさんからの指名には驚きました。実は3年生になってから、ソフトバンクさんは僕を見に来ていなかったんで……。指名はない球団だと思っていたんです。3位という高い評価をしていただいたことは光栄でした。

 小さいころからずっと目標にしていたことプロ野球選手になれた。ほっとしたというより本当に嬉しい気持ちになりました。

――キャンプでプロの選手を見て、レベルの高さはどう感じましたか?

近田 僕の場合、プロに入ることが目標になっていて、ドラフト指名を受けた段階で満足してしまった部分がありました。とはいえ、なんだかんだ言って、プロで活躍できると思ってたんですけど……。キャンプで驚きました。一軍投手のキャッチボールから全然質が違うんです。絶望といいますか、これは相当頑張らないと無理だなというのはすぐ感じました。

――当時のソフトバンク投手陣の柱は和田 毅投手、杉内 俊哉投手と球界を代表する左腕が2人もいました。

近田 実は、後ろから和田さんが投げている姿を見たとき、特別速いとは感じなかったんです。「まっすぐならば勝負できるかもしれない」と思いました。しかし、ピッチングコーチから「バッターボックスから見たほうがいい」と言われてバッターボックスから見てみると、初めて和田さんのボールのすごさが分かりました。ボールの出所が見えないんです。それだけで、まったくスピード感が違うんです。「これがプロの技だ」と圧倒されました。一生懸命ボールを放るだけがプロではない。それを実感しました。

――他に刺激を受けたピッチャーはいましたか?

近田 和田さんと同じようなタイプに大隣 憲司さんがいました。大隣さんのキャッチボールもピッチングもそうなんですけど、力感が全くないんですよね。そのフォームから140キロ後半のストレートも投げて、チェンジアップもすごく落ちます。「どうやって投げられるだろう」と思いながら見ていました。

――近田さんと同期には後にチームのエースとして活躍した攝津(正)さんもいましたね。

近田 コントロールが良かったですね。優しい人でコントロールについて質問すると、すぐに答えてくれました。

同期入団選手に後れをとる

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